山本理顕の 街は舞台だ 「みなとみらい21」

人が住まない都市は都市ではない

みなとみらい21

 戦後、東京が着々と復興する中、米軍による土地接収の影響もあり、横浜の復興はままならなかった。一方、東京のベッドタウンとして人口は急増し、港北区などを中心に住宅地の乱開発は急ピッチで進んでいた。このままでは横浜は東京に飲み込まれてしまう、そうした危機感から1965年「策定された、市の「六大事業」の一環として生まれたのが、のちに「みなとみらい21計画」とネーミングされた計画だ。

 その目的は 1)横浜の経済の活性化と経済基盤の確立 2)新たに国際交流や港湾の機能を集積する 3)東京に集中した首都機能を分担する受け皿となる などで、あくまで経済性=ビジネス中心の計画であった。

 その中で住居の位置づけはどのようなものだったのか。当初の計画では就業人口19万人、居住人口1万人とされた。これはとてもいびつな比率で、地区の総面積186haに比べ非常に少ない居住人口といえる。経済成長優先の1960年代の都市計画における住居部分とはその程度の重要性だったともいえるだろう。  

 では、横浜市は、どんな住民を想定していたのか。少なくとも、これからここに住んで、この街をより豊にしようとするような住民を想定していたわけではなかった。自分たちのプライバシーを守り、セキュリティーの充実したマンションに住みたいと思う人びとを想定していたのである。住宅の供給を民間ディベロッパーに丸投げしたら、結果的にそうなる。

 そして、マスタープランでは小中学校はつくらない方針であった。

 実際、入居が始まってみると、案の定というのか、東京に働きに出る人たちのベッドタウンになってしてしまっている。

 現在、みなとみらい21のタワーマンションに暮らす子どもたちは、30分以上の時間をかけ桜木町の本町小学校まで通っている。この現状をかんがみ横浜市は10年暫定で、同校の分校を2018年に作る予定とのこと。なお、今後も中学校を作る予定はないそうである。現在、みなとみらい21には、オフィス・ユースや商業関連の計画しかない。

 住民がいる限り、その場所はかけがえのない“ふるさと”である。横浜市は、“ふるさと”としての「みなとみらい21」をどう考えているのだろうか。

 横浜市は計画当初から、歴史性=横浜の個性に基づく街づくりを行う、としてきた。つまり、「赤レンガ倉庫街」や三菱のドックを保存する「ドックヤードガーデン」などである。また、「日本丸メモリアルパーク」や「象の鼻パーク」など、港湾施設を生かした緑地の整備を行っている。しかし、それらは住民のための場所だといえるのだろうか。観光客に媚びる施設はあっても、住民たちのコミュニティを育む場所には決してなり得ない。誰のための環境整備なのか。

 みなとみらい21地区のタワーマンションは、1棟ごとにそれぞれのディベロッパー=不動産会社が開発・販売しているために、地区全体でのコミュニティ設計が一切されていない。横浜市に問い合せても地域社会を豊かにするような今後の施策は特にないということだ。住民たちはマンションの部屋から通勤し帰宅するのみで、それぞれの部屋に閉じこもっている。

 本来、“住む”とはどういうことなのか。住居の内側だけをひとつのパッケージ商品としてマンションを買う、ということなのだろうか。

 住むということは、単にプライバシーとセキュティを確保することではない。住民が、自分たちで自分たちの街=コミュニティをつくることである。豊かなコミュニティを作るには住民自治が大切で、そのためには、住民がその地域でどのような活動に参加できるのか、といった視点が重要なのである。例えば、前号で取り上げた野毛の街のように、すべての住民が何らかのかたちで経済活動に参加する。住んでいる人がそこで働くことで、実はコミュニティのような関係をつくることができるのである。しかし、戦後の日本社会は、そうした街は遅れた街だとして、壊そうとし続けてきたのが現実だ。

 社会学者は、現在ではコミュニティは成り立たないという。タワーマンションのような現状の建築を前提としているから、コミュニティは生まれないと考えてしまうのだ。

 行政の民間ディベロッパーに丸投げするような住宅政策が、住民自治を作りづらい街を作ってきたのだ。プライバシーとセキュティのみの住宅では、地域社会の人々と共に住む生活はできない。共に住むとは、隣に住んでいる人に責任を持つということ。お互いに責任を持って付き合っていく。見守っていくこと。それが豊かな住環境を作るのだ。本来、地域住民によりよい生活環境を提供するのが、行政の責務であるはずだ。

 経済成長だけを目指した60年代の都市計画が、いかに一方的なものだったか。その実証が、みなとみらい21だ。この街の暮らしは人間本来の暮らしの姿ではない。住民の活動の舞台となり得ない街である。

 みなとみらい21は、現在もグローバル企業を誘致したがっている。行政は誘致する企業に対して問うべきである。あなたは周辺環境にどのように貢献してくれますか、と。ただ企業が来てくれるのを待っているだけでなく、自ら進んであり得るべき未来都市を構想すべきである。その構想に魅力を感じる企業が必ずあらわれるはずなのだ。

 リーマンショック以前から、みなとみらい21の開発は遅れ気味である。それは単に経済的な問題ではない。当初の計画自体に問題があったのだ。横浜市はただ売れるのを待っているのではなく、いまを良い機会とし、計画の根本的な見直しをすべきである。みなとみらい21が、新たな都市の姿を世界に向け提案する絶好のチャンスなのだ。人が住まない都市は都市ではない。(談)


住所:神奈川県横浜市中区西区、中区

交通:横浜高速鉄道みなとみらい線「みなとみらい駅」 「新高島駅」


企画・監修:山本理顕(建築家)

1945年生まれ。71年、東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻修了。東京大学生産技術研究所原研究室生。73年、株式会社山本理顕設計工場を設立。2007年、横浜国立大学大学院教授に就任(〜11年)。11年、横浜国立大学大学院客員教授に就任(〜13年)。

山本理顕設計工場


Photoキャプション(上から)

タワーマンションが林立する「みなとみらい21」 住宅地区

高い壁や生け垣で覆われているマンション

建設中のランドマークタワー1991年11月* 

造成中のみなとみらい21埋立地(健康福祉センター屋上から) 1984年4月* 

整備が進む横浜美術館周辺 1988年*


*横浜市史資料室所蔵資料

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