スティーヴン・ イッサーリス (チェリスト)

祖父の祖国ロシアとユダヤ文化の出会い。
その豊かな音楽遺産を渉猟することは、
自身のルーツを訪ねる旅でもある。

室内楽プロジェクト
〈ロシアの唄と舞曲と悲歌〉

神奈川県立音楽堂


 神奈川県立音楽堂では、2021年1月の「音楽堂ヴィルトゥオーゾ・シリーズ」にチェリストのスティーヴン・イッサーリスを招いて、「ロシアの唄と舞曲と悲歌」というテーマで2回の室内楽リサイタルを開催する。イッサーリスは1980年代に当時としては珍しいガット弦を愛用するチェリストとして注目を集めた後、現在では世界最高の奏者の一人として活躍する一方で、深い教養をもとに子どもを対象とする音楽書を執筆するなど、多岐にわたる活動で知られている。今回はリサイタルの聴きどころをイッサーリスにきいた。

―イッサーリスさんはこうした明確なテーマを設定したプログラミングを好まれるようですが

 リサイタルを開くにあたって、そうしたテーマ性のあるプログラムを組むときもありますが、そうでないときもあります。ただ、ある作品を採り上げるときに、作曲家とその周辺、あるいは作曲家に対する影響のあり方などを跡付けることで、その作品や作曲家に対する理解を深めるきっかけを提供することができると思うのです。

 また率直に言って、そうしたプログラムを考えることを、私自身もたいへん楽しんでいます。それはまるでディナーの献立を考えるようなものです。うまい構成ができたときは非常に嬉しいものですけれど、ひらめかないときの苦しみといったら地獄のようです(笑)。

―それでは、今回のプログラムについてお話しいただけますか?

 1日目はショスタコーヴィチとカバレフスキーのチェロ・ソナタ、それにラフマニノフのピアノ三重奏曲「悲しみの三重奏」の3曲となっています。

 ショスタコーヴィチは1975年に亡くなって以後、ソヴィエト政府との軋轢が明らかにされて、その作品の政治的な側面ばかりが強調されるようになりました。しかし1934年に完成されたチェロ・ソナタは、そうしたもろもろの問題が起こる前の作品となります。ここにあらわれるのは偉大な古典派の作曲家としてのショスタコーヴィチで、そこに彼が若い頃に多く手がけた映画音楽の影響が重なって、モダンな響きを作り出しています。彼の人生やソヴィエトの政治的な問題などを抜きにして、この作品を聴けば、彼がどれほど偉大な音楽家であったかを知ることができると思います。

 カバレフスキーは旧ソ連政府から重用された上に、いわゆる「社会主義リアリズム」を体現した穏健な作風であったこと、さらにはどうも人格的問題があったらしく、多くの人から嫌われてしまったことで、現在は評価が低く、また演奏される機会も激減してしまいました。しかし作曲家としてはすばらしい作品を遺している。チェロ協奏曲第2番や今回採り上げるチェロ・ソナタなどは、私の好きな作品です。特にソナタはエキサイティングで力強い名曲ですから、聴こうという人がもっと増えて欲しいですね。

 ラフマニノフのピアノ三重奏曲は、この3曲の中ではもっとも有名かもしれません。しかし同時に、この作品が嫌いだという人も多いのは残念です。とてもピュアで、感動的な音楽なのですが。

―2日目のプログラムには、同じラフマニノフのチェロ・ソナタが含まれています。またイッサーリスさんの祖父にあたるユリウス・イッサーリスの小品も入っていますね。

 まずは二人の関係からお話をしましょう。祖父はピアニストであり、作曲家でもあって、作曲をセルゲイ・タネーエフに学びました。タネーエフはラフマニノフの師でもありましたから、祖父と彼は同門ということになるのです。加えて、ラフマニノフがチェロ・ソナタを献呈したチェリストのアナトリ・ブランドコフは祖父の友人でもあって、二人でよくツアーを行っていました。そのときにはもちろん、このラフマニノフのソナタもプログラムに入れていたそうです。

―ラフマニノフは1917年のソヴィエト革命を機にロシアを離れました。お祖父さまが西側に出られたのは、どのような経緯だったのですか?

 祖父が祖国を離れたのは1922年のことです。当時レーニンは、12人の優れた音楽家を選び、「ソヴィエトの偉大さを世界に広めてくるように」との使命を与えて外国に送り出しました。ところが彼らのうち、一人として帰国する者はいなかった。そのうちの一人が祖父でした。ですから、私はレーニンがいなければ生まれてこなかったことでしょう(笑)。

 今私の目から見て、祖父が偉大な作曲家であったと言うのは少々難しいように思います。それでも彼がパブロ・カザルスのために書いた「バラード」は実に心優しい、愛らしい小品です。この曲をめぐってカザルスが送ってきた手紙が2通ほど祖母のところに残っていたらしいのですが、祖母が亡くなったときに遺品を整理してしまって、失われてしまったのは残念でした。

―ラフマニノフのソナタを弾くにあたっては、お祖父さまのアドバイスが活かされているとか。

 これは祖母から聴いたのですが、ブランドコフが祖父とのリサイタルにあたって、強弱の変化を現在の楽譜とは違うかたちで演奏した箇所があるのです。ブランドコフによればそれはラフマニノフ自身が指定した変更だったそうです。で、その変更を私もまた採用して演奏しているのです。

―プログラムでは次にロソフスキーのピアノ三重奏のための幻想的舞曲が置かれています。

 ラフマニノフの音楽のルーツがロシア正教にあるのに対し、ロソフスキーはユダヤ教の文化のうちにありますから、このふたつの曲は非常に対照的に聞こえることでしょう。ロソフスキーの作品はユダヤ民族の伝統的な舞曲に基づいています。ここでの作曲語法はユダヤの民俗音楽に特有の、増2度を多く含むもので、これが豊かな民族色を醸しています。それだけでなく、とてもエネルギッシュで楽しい作品ですよ。

―ショスタコーヴィチのピアノ三重奏曲第2番も、ユダヤ的な旋律が引用されていることで有名です。

 ショスタコーヴィチには多くのユダヤ人の友人がいました。ピアノ三重奏曲第2番はそのうちの一人、イヴァン・ソレルチンスキーに捧げられています。ソレルチンスキーは1944年、ナチスのレニングラード攻囲を逃れて移り住んだノヴォシビルスクで、わずか41歳で亡くなったのでした。彼を追悼する意味でユダヤ的な語法が作品にあらわれますが、曲の雰囲気はロソフスキーとは全く異なります。

―最後になりますが、今回の共演者についてお話しください。

 ピアニストのコニー・シーとはほんとうに長い付き合いで、もう娘のような存在です。彼女には娘がいるのですが、その子も私のことをもう一人のおじいちゃんだと思っているほどです。彼女との共演では、もうほとんど言葉で打ち合わせることもなく、お互いの演奏を通じて気持ちのやりとりをする、そういう間柄です。

 一方アンソニー・マーウッドも昔からの友人で、コニーほどではありませんがよく共演します。指揮者でもあるので、ハイドンの協奏曲をいっしょに演奏したりもしました。今回は二人ともちょうどスケジュールが空いていたので、たいへんラッキーでした。日本で共演するのが楽しみです。


取材・文:相場ひろ 撮影:青柳 聡


my hall myself
私にとっての神奈川県立音楽堂

初めて神奈川県立音楽堂でリサイタルを開いたのは2004年4月のことです。その後県民ホール、かなっくホールで神奈川のみなさんとお会いしましたが、音楽堂は17年ぶりとなります。私は演奏会に際していく日か余裕をもって現地入りしますが、横浜の空気を吸い込み、リズムに身体を慣らしながら、みなさんにお目にかかる日に備えるのは、それだけでたいへんにエキサイティングで、私にとって心地よい街のひとつです。


スティーヴン・イッサーリス Steven Isserlis

イギリス生まれで現代最高のチェリストの一人。世界屈指の指揮者のもと、ベルリン・フィルやウィーン・フィルといった超一流のオーケストラと共演を重ね、室内楽では、さまざまな名手とザルツブルク音楽祭などで演奏している。歴史的奏法にも深い関心をよせ、古楽器のオーケストラ、チェンバロやフォルテピアノ奏者との共演も多い。同時に現代音楽にも積極的で、タヴナーやアデス、クルタークらの作品初演も任されてきた。若き聴衆のために執筆した2冊の本は多くの言語に訳されている。


スティーヴン・イッサーリス 室内楽プロジェクト 〈ロシアの唄と舞曲と悲歌〉

神奈川県立音楽堂

Concert Ⅰ 2021年1月30日(土) 15:00

ショスタコーヴィチ:チェロ・ソナタ カバレフスキー:チェロ・ソナタ

ラフマニノフ:「悲しみの三重奏曲」 第2番

Concert Ⅱ 2021年1月31日(日) 15:00

ユリウス・イッセルリス(イッサーリス):チェロとピアノのためのバラード ラフマニノフ:チェロ・ソナタ

ロソフスキー:ピアノ三重奏のための幻想的舞曲 ショスタコーヴィチ:ピアノ三重奏曲第2番

出演:スティーヴン・イッサーリス(チェロ/企画構成) 

アンソニー・マーウッド(ヴァイオリン) コニー・シー(ピアノ)

〈関連企画〉

スティーヴン・イッサーリス 公開マスタークラス&曲目解題コンサート

2021年1月29日(金) 18:30 横浜市神奈川区民文化センター かなっくホール

*チケット詳細はFOCUS1および特設サイトをご覧ください。

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