愛と哀しみの傑作(マスターピース)ジュゼッペ・ヴェルディ 「ナブッコ」

ジュゼッペ・ヴェルディ

「ナブッコ」

 1813年、ジュゼッペ・ヴェルディは、イタリア北部パルマ地方の寒村で、小さな宿屋の息子として生まれました。幼少期から音楽の才能に恵まれ、9歳の頃には村の教会のオルガニストを務めていたといいます。そんな彼を見込んだ近郊の街ブッセート市の有力者アントニオ・バレッツィが支援者となリます。

 1836年、ヴェルディはブッセート市音楽監督に就任し、支援者バレッツィの美しい娘マルゲリータ嬢と結婚します。翌37年には長女ヴァージニアが生まれ、38年には長男イチリオが誕生。幸せな生活が続くかに見えましたが、長男誕生の直後に長女が1年4か月で亡くなってしまいます。ヴェルディは生活を変化させるため、そして、作曲家として挑戦するため、家族と共にミラノへ向かいます。

 1839年、ヴェルディは処女作オペラ「オベルト」を完成させ、スカラ座での上演が決定します。しかし、不幸は続き、初演のリハーサル中に息子が1年2か月で死亡。さらに、次回作を作曲中の翌40年、今度は最愛の妻マルゲリータが亡くなります。わずか3年間に妻子を全て失ったヴェルディ。絶望のあまり音楽への意欲を失くしてしまうのでした。

 同年末、ヴェルディは、ミラノの街角で旧知のスカラ座支配人と出会います。彼の才能を惜しむ支配人は1冊の台本を無理やり手渡しました。帰宅したヴェルディは台本を投げ捨てますが、その時、偶然開いたページの一行が目に入ります。それが「行け、わが思いよ、黄金の翼に乗って」です。歌詞は続きます「悲しく嘆きの響きを紡げ、この苦しみを耐えさせてくれる調べを」と。

 これをきっかけに情熱を取り戻したヴェルディは、翌年の秋に曲を完成させます。それがオペラ「ナブッコ」です。1842年3月、スカラ座での初演は、観客の熱狂を呼び起こしました。同年秋には早くも再演され、スカラ座の新記録となる57回上演されます。これ以降ヴェルディは次々と傑作オペラを生み続けることとなるのです。


ジュゼッペ・フォルトゥニーノ・フランチェスコ・ヴェルディ

Giuseppe Fortunino Francesco Verdi (1813-1901)

19世紀を代表するイタリアのロマン派音楽の作曲家。「オペラ王」と呼ばれる。代表曲オペラ「ナブッコ」、オペラ「椿姫」、オペラ「アイーダ」、ミサ曲「レクイエム」など。


イラスト:遠藤裕喜奈

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