愛と哀しみの傑作(マスターピース)クロード・ドビュッシー 「子供の領分」

クロード・ドビュッシー

「子供の領分」

 1862年8月22日、ドビュッシーは陶器店を経営する父とお針子の母の長男としてパリに生まれます。8歳になると叔母の家に預けられるなど、家族の愛情には恵まれない幼少期を過ごしますが、幼い頃から音楽の才能を発揮し、10歳でパリ国立音楽院に入学します。

 1881年、19歳のドビュッシーは知人のサロンで、32歳のマリー=ブランシュ・ヴァニエ夫人と知り合います。その後4年間、ヴァニエ夫妻の援助を受けますが、夫人とはパトロンと学生以上の関係となるのでした。1884年、22歳で作曲家の登竜門であったローマ大賞を受賞します。夫人への想いが止(や)まぬドビュッシーは、ローマ留学を最短の2年で切り上げて帰国。しかし、夫人の彼への愛情はすでに冷めてしまっていました。

 それからのドビュッシーは何かに取り憑かれたように数多くの女性と恋愛します。ソプラノ歌手、ダンサー、詩人の娘、マヌカン等々。しかも、一緒に暮らす女性がドビュッシーの度重なる浮気に耐えかねてピストル自殺未遂を起こしてしまいます。その1年後には彼女の親友と結婚。その妻も彼の浮気が原因でピストル自殺未遂を起こすのです。

 1903年、41歳のドビュッシーは、同い年のエンマ・バルダック夫人と出会います。彼がピアノを教える生徒の母親でした。翌年、二人は英国に駆け落ち。1905年には、愛娘クロード・エマ、通称シュシュが誕生します。そして1908年、ドビュッシーとエンマは正式に結婚。この年、3歳になったばかりのシュシュに献呈したのがピアノ組曲「子供の領分」です。ピアノを練習する子どもを描いた「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」や、「象の子守唄」、「人形のセレナード」など、子どもへの愛情が溢れる名曲集です。

 その後亡くなるまでの10年間、ドビュッシーは暖かい家庭に恵まれ過ごすこととなります。ちなみにシュシュの「シュ」はキャベツのこと。フランスでは「私のお気に入り」といった意味です。


クロード・アシル・ドビュッシー

Claude Achille Debussy (1862-1918)

フランスの作曲家。西洋音楽の伝統的音階や和声に捉われない独自の作品を生み出した。代表作はピアノ曲「忘れられた映像」、「版画」、「二つの前奏曲集」、管弦楽曲「牧神の午後への前奏曲」、交響詩「海」など。


イラスト:遠藤裕喜奈

kanagawa ARTS PRESS

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