アレクサンドル・ デスプラ (作曲家)

音楽家が台本を考え、演出も演奏家が手がけました。
つまり、このオペラでは本当に音楽が中心となっているのです。

開館65周年記念 音楽堂室内オペラ・プロジェクト
ボーダーレス室内オペラ/川端康成生誕120周年記念作品

「サイレンス」 

神奈川県立音楽堂


「サイレンス」は、アカデミー賞作曲賞、グラミー賞などを受賞した映画音楽作曲家アレクサンドル・デスプラが初めて作曲したオペラである。今年の2-3月、ルクセンブルク(2月26・27日ルクセンブルク大劇場)とパリ(3月2・3日ブーフ・デュ・ノール劇場)での初演を経て、2020年1月に、神奈川県立音楽堂とロームシアター京都で日本公演が行われる。原作は川端康成の短編『無言』。大の日本好き&日本通ということからも、細やかな感性のデスプラが描く川端の世界に興味をそそられる。日本の読者に向けて、作曲家本人が公私にわたる長年のパートナー、ソルレイ(ドミニク・ルモニエ)とのコラボレーションでもあるこのオペラについて語ってくれた。


映画音楽家にとってのオペラ

―今回のオペラを書くことになったのはどういう経緯からですか。

 実は大分前から、ソルレイと映画音楽から離れてみたいと話し合っていました。もちろん、映画音楽には常に情熱を持っていますし、映画音楽の作曲は私の日常生活に組み込まれているわけですが、やはりそこには コンサート用の音楽や舞台音楽にはない制約があります。そしてこの短編小説を見つけた時、小規模の作品―3時間もかかるような長いものではなく、短い形式で少ない登場人物による胸を打つ話、しかも、私たちの個人的な出来事[注:ヴァイオリニストであるソルレイの片手が不自由になったこと]に重なる物語の、極めて詩的で控えめな舞台作品が実現可能だと感じたわけです。私は作曲においても、華々しさよりも、慎み深い控えめさが好きなので。

―ソルレイさんとの共同作業で作られたのですよね。

言葉ではなく音楽がオペラ全体を導いていくよう、作曲と並行し、音楽を優先する形で台本をソルレイと一緒に考えていく行程はワクワクして楽しかったです。通常、台本は既に書かれているか、コラボレーションといっても作家が台本を書くのであって、音楽家の手によることは稀です。そして演出も演奏家であるソルレイが手がけました。つまり、このオペラでは本当に音楽が中心となっているのです。そのおかげで、私は安心して初のオペラ作曲に取り組めましたし、これこそが私がオペラでやりたかったことでした。ソルレイとは、昔からいつも、音楽についてアーティスティックな意見を交わしてきたという信頼感もあります。

日本との関係・日本的な要素 

―原作は川端康成の短編ですね。

 日本の小説を選んだ背景には、日本が日常的に私の暮らしの一部となっていることもあります。合気道を習っていた少年時代から現在までずっと、日本とその文化を愛し続けています。家では日本の着物を着て、日本茶を飲んでいますよ。日本の音楽も聴いています。

―特に日本のどんなところが好きですか?

 秩序、洗練、そして自然との近さですね。 そのままの自然と、入念に受け継がれてきた伝統文化の精緻さが混ざり合っている。それは、美と完璧への情熱を持った職人の仕事などにも見られます。溝口作品をはじめ詩的な日本映画にも、そういった私の好きな側面があります。また、日本の作曲家も好きです。例えば、武満徹の音楽からも私は多くを学びました。彼は日本文化の影響だけでなく、ドビュッシーやメシアンなどからも影響を受け独自の音楽言語を構築し、彼らしい作品を創作しました。自国の文化にも他国の文化にも開かれ、それらをミックスさせて、驚くべき洗練された書法を編み出したところが素晴らしいと思います。彼の音楽には、まさに私の好きな控えめさ・透明感・純粋さがあります。現代の作曲家では久石譲と親交があります。彼のことは人間的にも尊敬していますが、映画音楽での飽くなき追求はとても高く評価しています。

―「サイレンス」では、ジャポニスムというわけではありませんが、かなり日本的な要素がリアリスティックな形で見受けられました。

 舞台全体は、私たちが夢想し新たに再構築して作り上げた日本、つまり私たちが愛し、経験し、身近に暮らす日本が投影されています。特に、ソルレイによるヴィデオは日本的な世界を表現しています。日本での撮影ではありませんが、出演者はみな日本人ですし、映像の撮影監督は永田鉄男です。それと同時にソルレイにとって重要だったのは、ジャポニスムを避けるということでした。例えば、舞台には、横に動いて開閉するついたてがありますが、木製ではないし、日本的な絵が描いてあるわけでもありません。それから舞台の奥に色とりどりの衣装を着た器楽奏者たちが配置されていますが、それらも、具体的にではなく抽象的に、日本文化において重要な「自然」を表しています。ソルレイは、演奏者たちが色彩の点のように舞台を彩るとともに、幽霊や自然に近い精霊のようなものとして、単に楽器を持った奏者ではなく抽象的な存在感を与えることを望みました。

 普段の私は、着物や漆器、浮世絵に囲まれ、ソルレイと一緒に京都のお茶を毎朝飲んでいますが、それがそのまま今回のオペラに明らかには現れないようにしたわけです。

–と言っても、例えば、登場人物がお辞儀をする、あるいは、タクシー運転手の白い手袋などといった細部は日本が舞台であるということをとても忠実に表していて興味深いですね。

 確かにそういった要素はいくつかありますが、それは要素に過ぎず、舞台は鎌倉や逗子でなくても、そして三田と富子はジャン・ピエールとシルヴィーという名に変えてしまってもよかった。ただそうしなかったのは、もちろん私たちが非常に川端の作品をリスペクトしていたため、そしてこの短編が日本文化を凝縮して伝えるものであることを考慮したためです。やはり、いくらか日本的な要素も必要だったということです。

 音楽でも、例えば器楽アンサンブルは、3人のフルート奏者、3人のクラリネット奏者、3つの弦楽器などと、3つずつグループにする雅楽の楽器編成の方法にならっています。

―つまり、音楽にも日本的な要素を取り入れたわけですね。

 そうです。楽器も木管と弦楽、つまり木で作られたものですし、打楽器には太鼓もあります。もちろん、いわゆる伝統音楽の太鼓の音型を奏でるわけではありませんが。そういった意味で、一種の日本へのオマージュであり、日本は作品のそこかしこに存在しています。

 日本の旋法についてはたくさん研究しましたが、基本的にそのまま使ってはいません。時折、この作品では非常にゆっくりで抑制されたテンポを使いますが、そこでは雅楽の始まりの、漂うような世界、宙に浮かんでいるような、引き延ばされた荘厳な時間を再現しようと考えました。また、器楽奏者が歌手の歌う旋律を同時に奏でることも多く、背後に見える幽霊のような役割を果たしています。

オペラのテーマ/ルシリンとの共演

―幽霊といえば、ソルレイによる「幽霊ヴァイオリン」が何度か聴こえますね。

 彼女がヴァイオリンの即興演奏を録音したものです。そこには、一種の目に見えない痛みや苦痛が感じられます。この幽霊ヴァイオリンは、ヴァイオリンが他の楽器よりも強く表現する、震えや緊張感を伝えているのです。

そこに表現されているものは、このオペラのテーマである「表現手段を失ったアーティストはどう生きていくか」という問いにつながっているのでしょうか。

 もちろんです。表現手段を失ったアーティストは、どう表現していくか、どうコミュニケーションしていくか。というのも、芸術家は芸術を通してコミュニケーションするからです。私は言葉よりも音でコミュニケーションします。だからこそ、今までオペラを作曲しなかった。音楽とともに言葉を使うというのは、私にとって、ワンステップ余計(笑)、だからです。

 この短編には非常に心に響く、深い内容がありますが、一見、平凡な逸話のようにも見えます。麻痺の障害を持っている人は日常的に見かけますし、脳卒中も、私の身の回りの複数の人に起こっています。しかし、それがクリエーター、アーティストの場合、非常に耐え難い傷となります。もう、芸術的に何も生み出すことができなくなってしまうからです。大宮明房の場合、一切のコミュニケーション手段を失ってしまい、作家であるのに書けなくなってしまった。そしてそれは、ソルレイがもはや以前のようにはヴァイオリンを演奏できなくなってしまい、基本的にはヴァイオリニストであることをやめた状況と重なるのです。

–なるほど。ところで、大宮明房はわずかに動く片手でも一文字も書こうとはしないということですから、もしかしたら完全に沈黙しているのは彼の意志でもあるのかもしれないのですよね。

 そうです。そのため、彼の内面や心情を描くヴィデオ映像は曖昧です。ダンサーがゆっくり踊る様子や野球の試合など、必ずしも内容と直接的に関係ないようなズレた映像が、明房の、現実の人生に対する、無頓着で超然とした精神を表しているわけです。まあ、本当に彼が何を考えているかは決してわからないですが。もしかしたら、その辺は続き「サイレンス2」で…(笑)。

アンサンブル・ルシリンとの共演は、どのように決まったのでしょうか。

 偶然ルシリンが演奏した、あるコンサート形式のオペラ公演の後、メンバーたちと一緒に飲みに行くことがありました。そこでリーダーで打楽器奏者のギー・フリッシュから、彼らが演奏できるような楽曲がないか聞かれ、その時はちょうど良いものがなかったのですが、その後この企画が持ち上がった際に彼らと再会し、川端の短編小説をもとにオペラを作曲する権利を得たことを伝え、「ルシリンのために作曲できるが演奏してくれるか」と打診しました。そして川端の短編と私の企画書を渡したところ、すぐに了解が得られ、そのうえルクセンブルク大劇場(初演となった劇場)を紹介してくれました。つまり、ルシリンは最初からこのプロジェクトに参加している重要な協力者です。

―最後に、デスプラさんにとっての「サイレンス(沈黙)」について語ってください。

 まったくの無音は存在しません。必ず何かしらの物音がしています。常に空気は振動していて、心臓の鼓動や、軋みや擦れなどかすかな音がある。静寂の中ではむしろ、こういった物音の存在感が増します。その絶え間ないせめぎ合いの作用の中に沈黙を見出せるのです。沈黙(サイレンス)とは私たち自身が作りだすものです。例えば、私が今回書いた声楽パートと器楽パートの中にも、沈黙は含まれています。音が止むから沈黙というわけではなく、沈黙は音楽の一部なのです。

 もちろん、ソルレイの演出では、夕食の場面で文字通り音楽のない沈黙の瞬間があります。聴衆にとっては大きな効果があると思います。音楽が聴こえない、声が聴こえない、誰も話さない、そうすると、自らの振動音、舞台の振動音を聴くことになるわけです。

私にとっては、茶道でお茶碗を手に取る時「取る手は軽く置く手重かれ」という教えこそが「サイレンス(沈黙)」と言えます。


my hall myself

私にとっての神奈川県立音楽堂

 今まで、京都と東京にしか行ったことがありません。日本の北から南まで各地に行ってみたいと夢見ているのですが、今までは時間が取れませんでした。今回、地名として出てくる鎌倉にも行きたいですし、逗子には三島由紀夫が住んでいましたね。ソルレイは、今回の演出で三島と川端の文通も多くのインスピレーションを得ています。鎌倉の川端邸もぜひ見てみたいです。神奈川で皆様にお会いできるのを楽しみにしています。


取材・文:柿市 如


アレクサンドル・デスプラ Alexandre Desplat

グラミー賞、ゴールデングローブ賞で音楽賞を多数受賞している注目の作曲家。2005年、「真夜中のピアニスト」でベルリン国際映画祭銀熊賞とセザール賞を受賞。2006年の「クィーン」ではアカデミー賞にノミネートされた。2008年の「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」や2010年の「英国王のスピーチ」でもノミネートされている。2014年の「グランド・ブダペスト・ホテル」でアカデミー賞を初受賞。最新作「シェイプ・オブ・ウォーター」はゴールデングローブ賞最優秀作曲賞、アカデミー賞作曲賞を受賞。その後も多数のノミネート、受賞を続けている。


開館65周年記念 音楽堂室内オペラ・プロジェクト

ボーダーレス室内オペラ/川端康成生誕120周年記念作品

「サイレンス」 日本初演(フランス語上演/日本語字幕付)

2020年1月25日(土) 14:00 神奈川県立音楽堂

原作:川端康成 「無言」 

音楽:アレクサンドル・デスプラ 台本:アレクサンドル・デスプラ/ソルレイ 

演出:ソルレイ 美術・照明:エリック・ソワイエ 

衣裳:ピエルパオロ・ピッチョーリ(VALENTINO

指揮:アレクサンドル・デスプラ 

演奏:アンサンブル・ルシリン 

 *日本公演もデスプラ/ソルレイが指揮/演出となりました。

全席指定 一般6000円 シルバー(65歳以上)5500円 学生(24歳以下)3000円

*車椅子席あり(付添1名無料) *未就学児入場不可 託児サービスあり 

*開場開演前 無料シャトルバスあり

単独券 8月31日(土)KAme先行 9月7日(土)一般発売

◎音楽堂室内オペラ・プロジェクト セット券 好評発売中 

19000円(「サイレンス」一般券+「シッラ」S席の組み合わせ)

*詳しくはこちらから


Photo(上から)

©Silvia Delmedico

©Aurélie Lamachère

パリ初演のカーテンコールで喝采を受けるデスプラとソルレイ

©Aurélie Lamachère

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