神奈川県立音楽堂と市民合唱

音楽堂は1966年から「クリスマス音楽会」というシリーズ名で《メサイア》全曲の公演を続けています。《メサイア》は旧約聖書のテキストを歌うオラトリオ(聖譚曲。宗教的な題材による大規模な楽曲)で、合唱が重要な役割を果たします。プロの指揮者、歌手たちとともに、その合唱を担うのは市民合唱団が集まる「神奈川県合唱連盟」です。こうした市民による合唱と音楽堂の歴史的背景を探ります。

取材・文 : 猪上杉子
写真 : 大野隆介(*を除く)

アマチュアの合唱が音楽堂に響きました

「ハーレルヤ、ハレルヤ」─20‌2‌5年12月7日、音楽堂にヘンデル作曲のオラトリオ《メサイア》の有名なハレルヤ・コーラスが響きました。クリスマスシーズン恒例のコンサートとして続く伝統の公演「クリスマス音楽会」、その第58回です。第一線で活躍するプロのソリストとアマチュアの合唱団員が、大塚直哉さんの指揮による神奈川フィルハーモニー管弦楽団の演奏に乗せて、高らかに歌い上げました。

この公演の大きな特徴が、何十年にもわたり神奈川県合唱連盟(1958年結成、県内アマチュア合唱団の団員で構成される)が合唱を担っていること。今年は同連盟の参加者募集に応えた38名が参加しました。さらに2011年には「音楽堂『メサイア』未来プロジェクト」が開始され、次世代に伝統を伝えることを目的に、県内の高校生に参加を募っています。今年は県立湘南高校、県立多摩高校、法政大学第二高校の合唱部員やOBら64名が参加しました。

この総勢100名以上からなる、神奈川県合唱連盟と「音楽堂『メサイア』未来プロジェクト」の合同合唱団は、公演本番の2ヶ月以上前から12回ほどの練習を音楽堂で重ねました

合唱連盟の団員と高校生が集まる合同練習の様子。真ん中で歌っているのは、第1回公演から参加している門間さん

第1回公演から1回も欠かさず参加しているバス・パートの門間誠蔵さんは、合唱団「横浜木曜会」に所属、御年91歳です。「隣に並ぶ高校生に、メサイアの宗教的な意味合いを理解してニュアンスを大事にするといいよと話したりしています」と若い世代との共演を楽しんでいました。

また、「アンサンブル萌」に所属するアルトの渋谷直美さんは、2006年以来ずっと参加しています。「音楽堂は横浜国立大学の混声合唱サークルで合唱祭に出演した思い出もある最高峰の場所なので、ここで歌えることがとても光栄です。毎年一緒に歌う仲間と友だちになれたこともうれしいことです」と語ってくれました。

一方、3高校の合唱部部長たちは、「人数が少ない部なので、大勢で声を合わせる楽しさを味わえる絶好の機会です」「音楽堂という合唱にとって神聖な場所に立てる喜びがあります」「歴史を感じる建築物に接しながら、音楽堂設立100年への伝統に自分たちが連なることに身が引き締まります」などと話してくれました。また、高校生たちは合唱楽譜を初代から引き継いで繰り返し使用しています。そこには代々の使用者が書き込んだメモが連なっており、演奏のための貴重な情報共有ツールです。

高校生が代々使用している楽譜。
たくさんの書き込みや付せんがあるほか、最終ページには次代の高校生たちへの応援メッセージがつづられています

音楽堂での《メサイア》の歴史には市民の情熱がこもっています

1954年12月、開館間もない音楽堂で初めてヘンデルの《メサイア》が演奏されました。それは民間団体主催による、東京藝術大学音楽学部を中心とした合唱団による合唱での公演でした。その後1966年からは、音楽堂の主催になり、その第1回の出演者は、指揮者に山田和男、管弦楽は神奈川交響楽団、合唱には横浜木曜会、横浜オラトリオ協会、フェリス女学院短期大学合唱団、関東学院大学グリークラブなどアマチュアの8つの合唱団が連なりました。音楽堂での第1回公演から市民合唱団によって合唱が担われてきたのです。

それは当時の市民の間での合唱の高まりが影響したと考えられます。戦後の日本では、全国的に「うたごえ運動」(合唱による労働者の音楽活動・政治運動)が盛んでした。音楽堂でも、開館3年後の1957年には『第1回横浜うたごえ』の公演が行われています。神奈川県合唱連盟が1958年に結成され、高校、大学、職場、地域における合唱活動も盛んに行われ、「合唱王国」と称されるほど、全国コンクールで受賞する高いレベルのアマチュア合唱団が神奈川県内にたくさん生まれました。

こんな合唱の隆盛の背景と、市民の音楽への情熱が、音楽堂の《メサイア》公演を60年近くも支え続けてきたといえそうです。

1970年に開催された第5回の写真。
山田一雄(第1回では「和男」の名で出演)指揮による「メサイア」公演は、キャンドルを灯す演出がありました*

「音楽通り」は音楽堂帰りの人々の歌声から名づけられた?

JR桜木町駅から野毛に向かう大通りを横道に入り、音楽堂のある紅葉坂の手前まで続く細い通りは「音楽通り」と名づけられています。この名の由来は、音楽堂の公演終了後の人々が、興奮さめやらぬまま、みちみち交わす歌声が響く通りであったことから自然発生的に呼ばれるようになったとされています。誰からともなく呼んだ通称でしたが、横浜市が募集した「愛称道路」事業で1976年に認定されました。

先に登場した門間さんも、「音楽堂は《メサイア》公演が始まった当時『東洋一のホール』と呼ばれていました。声がよく通る、いい音のホールで、出演する側としても、コンサートを聴いた時も感動したものでした」「それに、昔は合唱団のメンバーとともに集まって伊勢佐木町のまち角などで歌うこともしばしばしていましたよ」と、音楽堂にもまちなかにも歌声があふれていた風景について話してくれました。昭和の時代、「合唱王国」との異名をとった神奈川の風土と市民の熱気あふれる歌声のパワーがここにも反映されています。


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