詩は物語の完成を読者にゆだねている──
何かが欠けた“廃墟”みたいなもの
地名や人名の一文字一文字、その歴史をひもとくように詩作するカニエ・ナハさん。
平塚に生まれ、海老名で育ち、横浜にもゆかりがある詩人です。
芸術文化のあらゆるジャンルに精通し、詩を“総合芸術”として捉えるカニエさんの詩作プロセスについて、お話を聞きました。
聞き手・文 : 編集部 写真 : 加藤 甫
─カニエさんの詩は、短歌、散文詩、ソネット、物語調など様々な形式でつくられていますが、詩作のプロセスについて教えてください。
プレスされた文字から、言葉の歴史を紡ぐようにしてつくっています。今回「神奈川」についてもあらためて考えてみました。県の真ん中に相模川があるので、「川」にはそれが含まれているのかなと想像したり、「奈」という字には“神さまに捧げるもの”という意味があることを調べたり。さらに「川」をふくらませ、あちらとこちらを遮断するもの、三途の川、この世とあの世など-。次々と浮かぶイメージをテキストに編んでいきます。
―カニエさんがある土地を舞台に詩をつくる時、リサーチと詩作はどのように結びついていますか?
写真家・森山大道さんの「擦過(さっか)」※1と似ていて、さっと通り過ぎた時にまな裏に残ったものからイメージを広げていきます。自分がマッチ棒になったような気分で、擦って着火して火花が散ったもの-例えば史跡とか、しんみりした花といったものをよすがとしてテキストを紡いでいき、細部は由来や伝承などを調べて補完していきますね。
—本日の撮影には「港の見える丘公園」を選んでいただきました。この場所については、どのように捉えていますか。
横浜には子どもの頃からよく遊びに来ていました。西洋館があったり中華街があったり、様々な文化がハイブリッドに存在する“ちゃんぽん性”に影響を受けています。3年ほど前、フィールドワーク※2でこの公園を訪れた時、フランス領事館の遺構があることに気づきました。木々の間からふっと出現したそれを見て、時空間がゆがんでしまったような不思議な感覚におそわれて。優れた詩人でもある建築家の立原道造は、廃墟になることも想定して建築を考えたそうですが、廃墟がもつ“余白”は、詩の言葉の“余白”に通じるものがある。詩は読者に物語の完成をゆだねている面があり、何かが欠けた“廃墟”みたいなものかもしれません。
※1
森山大道は写真について、街に出て時代と“擦過する”と表現していた時期がある。
※2
カニエさんが2019年からフェローメンバーとして参加する、東京藝術大学大学院映像研究科主催RAM Association のワークショップ。
※2
インタビューの後日談。本作の登場人物が「港の見える丘公園」を訪れる詩を、カニエさんは編集部に送ってくれた。「時枝は時々その港を見わたす丘の公園の中腹にある遺構へとやって来てそこに佇んでいる」という一文から始まる詩は、本作の世界観とも連動するものだった。
カニエ・ナハ
詩人。
2010年「ユリイカの新人」としてデビュー。
2015年、詩集『用意された食卓』(私家版、のちに青土社)で第4回エルスール財団新人賞〈現代詩部門〉。
2016年、同作で第21回中原中也賞。
装丁家としても詩集を多数手がけている。
装丁、美術、パフォーマンス、エッセイ・書評等、「詩」を主軸に様々な活動を行う。