スティーヴン・イッサーリス
チェロ・リサイタル

ロシア音楽をテーマとしたプログラムで音楽堂の舞台に立った、世界的なチェリストであるスティーヴン・イッサーリス。彼の音楽への思いと、ロシア・ウクライナ戦争をはじめとした現状に対する実感を聞きました。

REPORT

世界的な演奏家たちの名演奏をお届けする「音楽堂ヘリテージ・コンサート」。2022年度の秋シーズン第一弾を飾ったのは、スティーヴン・イッサーリスのチェロ・リサイタルでした。

イッサーリスと神奈川芸術文化財団の交流は、2004年にさかのぼります。現在、演奏を聴くことができるチェリストのなかで、世界最高峰の一人といわれるイッサーリス。ストラディヴァリウスで奏でる演奏は音楽堂の「木のホール」を震わせ、観客を魅了しました。その後、県民ホールでも(2006/2009年)来日公演を実施。2021年には、自身のルーツでもあるロシア音楽の作曲家たちによる演目を中心とした新たなプログラムとともに、音楽堂の舞台へと帰ってくるはずでした。しかしコロナ禍に見舞われ来日はかなわず、翌2022年2月にはロシア軍によるウクライナ侵攻が勃発。いまだ紛争は終結をみていません(2023年3月現在)。

そして2022年9月、音楽堂での来日公演がついに実現。コンサートでは、ロシア・ウクライナ戦争が起こる以前に自身が企画したテーマを変更することはありませんでした。世界で活躍するイッサーリスの久しぶりの来日となり、会場も満席に。

音楽堂ではコンサートにさきがけ、関連プログラム[街なかトークカフェ「イッサーリスからたどる『ロシア音楽』」]を8月25日に開催しました。講師に迎えたのは東欧音楽の専門家・伊東信宏先生(大阪大学大学院教授)。映像や音源、質問コーナーを挟みながら、9月のプログラムを中心に、イッサーリスの祖父でありロシアを代表するピアニストでもあった、ユリウス・イッセルリス(イッサーリス)の人生もふりかえりました。伊東先生はコンサートについて「今年に入ってから、ロシア人の音楽家をコンサートから排除する動きもありました。ですがロシア音楽だからといって耳をふさぐことは、何の意味もないことだと僕も思います。音楽史のなかでもすばらしいロシア音楽を伝えていくという、イッサーリスの音楽家としての姿勢には、共感しています」と語りました。

取材・文 : 編集部 公演写真 : ヒダキトモコ


出演 : スティーヴン・イッサーリス(チェロ) / コニー・シー(ピアノ)
プログラム :
ショスタコーヴィチ : チェロ・ソナタ 二短調 op.40
プロコフィエフ : チェロ・ソナタ ハ長調 op.119
ユリウス・イッセルリス(イッサーリス) : チェロとピアノのためのバラード イ短調
ラフマニノフ : チェロ・ソナタ ト短調 op.19
日程 : 2022年9月17日
会場 : 神奈川県立音楽堂
主催 : 神奈川県立音楽堂
公式サイト


INTERVIEW

今も昔も、音楽家といえども自国の政治や世界情勢から切り離されて存在しているわけではありません。2022年2月にロシアによるウクライナ侵攻が始まった当初は、とりわけヨーロッパではウクライナへの配慮および連帯感から、過去のロシア音楽を演奏することを問題視する風潮さえありました。しかし、チェロ奏者のスティーヴン・イッサーリスはそうした考えはばかげていると主張します。「現在の戦争は、すでに亡くなっているロシア人作曲家たちの責任ではありませんから」。

昨年9月、久々の登場となった音楽堂でのリサイタルにはプロコフィエフやラフマニノフを含む王道のロシア・プログラムで臨み、ピアニストで作曲家であった祖父ユリウスの作品も取り上げました。

実はイッサーリスの父方のルーツはロシアとウクライナの双方にあります。祖父ユリウスは現在のモルドヴァ出身のユダヤ系ロシア人、モスクワ音楽院でタネーエフらに学び、その後、1920年代に事実上西側に亡命。祖母は現ウクライナのオデーサの出身で、父もオデーサで生まれました。イッサーリス自身、オデーサを何度も訪れています。

「祖父がソ連を出たのは1922年のことですので、今ウクライナから避難されている方々のように戦争によって国を追われたわけではありませんが、おそらくロシア革命後のソ連の行方に不安を感じていたのだと思います」とイッサーリスは語ります。祖父ユリウスは、まずウィーンに移り住み、その後ナチスによるオーストリア併合を逃れて英国に渡り、ソ連に戻ることはありませんでした。こうして時代に翻弄され国を追われた音楽家の姿に、今のウクライナの人々の苦境が重なり合います。

「祖父がチェロとピアノのために作曲した《バラード》はとてもロマンティックで、望郷の念に満ちています。ウィーンで書かれ、祖父がたいへん尊敬していたカザルスに献呈されました」

こうした争いの時代に音楽家として何ができるのか、という問いに対しては、現実主義的な英国人らしく「大きな力にはなれないかもしれませんが、自分たちにできることをするだけ」とイッサーリス。「5月には友人のヴァイオリン奏者イレーヌ・デュヴァルとロンドンでウクライナのためのチャリティー・コンサートを行いました。また、楽器を失ったウクライナのチェリストに楽器を届ける活動にも微力ながら関わりました。でも正直、戦争のことはよくわかりません。ロシア国内にとどまっている音楽家たちがどうしているのかも気になります。私自身、二度とロシアで演奏することがないかもしれません。まるで再び冷戦時代に戻ったかのように感じます。今は一刻も早く戦争が終結することを強く願っています」。

聞き手・文 : 後藤菜穂子 写真 : 大野隆介

チェリスト

スティーヴン・イッサーリス


イギリス生まれ。ベルリン・フィルやゲヴァントハウス管弦楽団、ロサンジェルス・フィルなどと共演し、ザルツブルク音楽祭やウィグモアホールなどの主要音楽祭やホールに出演、現代最高のチェリストの一人として比類のない多彩な活動を展開している。HIP(歴史的な奏法)にも強い関心を寄せ、古楽オーケストラにも頻繁に客演。同時に現代音楽にも熱心で、数々の新作の初演を任されてきた。若い聴衆や音楽家のための活動にも情熱を傾け、執筆した3冊の書は、すでに多くの言語に翻訳されている。主たる使用楽器は、イギリス王立音楽アカデミーから貸与された1726年製のストラディヴァリウス「マルキ・ド・コルブロン(ネルソヴァ)」。

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