旅と浮世絵

歌川国芳『相州江之嶋之図』(藤沢市藤澤浮世絵館蔵)は、波に洗われてごつごつとした岩肌を見せるボリュームのある江の島を、海側から一望するように描きだしている。多くの人が見慣れた陸側からの眺めではなくその奇怪な相を強調した点に、国芳の着想の妙がある。画中各所に「上ノ宮」「岩屋」などの書き込みがあり、江の島参詣において見るべき場所を図示するとともに、岩場には豆粒のようなサイズで参詣者を描き、江の島の壮大さを印象づけている。

今も都心から日帰りできる行楽地として人気のある江の島は、江戸時代の半ば以降、江戸市中の人々にとっても人気のある参詣地で、巳年と亥年に行われた弁財天の開帳にあたって多くの参詣客が訪れた。無論、当時の江の島行きは今と違って泊まりがけ。江戸からの往復で3泊4日の旅程であったという。

実は庶民が旅をするようになったのは、江戸時代も半ばを過ぎてからのこと。元々庶民には、商用や寺社参詣、訴訟といった限られた目的でしか旅が許されていなかったのだが、18世紀後半に入って寺社参詣を名目とした物見遊山の旅が流行しはじめる。経済の発展により人々の生活に余裕が生まれたこと、日本橋を起点とした街道の整備が進み、旅の安全性が高まったこと、また、1802年に刊行が始まった十返舎一九『東海道中膝栗毛』(弥次郎兵衛と喜多八が、東海道を江戸から伊勢神宮へ参詣する道中を二人の軽妙な語り口で描写した滑稽〈こっけい〉本)が大ヒットしたことなどが、旅行ブームの背景として挙げられる。

とはいえ、今のように頻繁かつ気軽に旅に出ることが叶(かな)わないのも事実で、せっかく出かけるのならば足を延ばして鎌倉も、風光明媚な景勝地として知られた金沢八景も、もう少し欲張って大山参詣も、と加えると1週間程度の旅程となったようだ。その間には街道筋における飲食や旧跡めぐりも大いに楽しんだことであろう。

人々の関心を反映するように、街道や名所を主題とした風景画が次々と生みだされた。そもそも浮世絵は、リアルタイムの流行を描きだす町人の芸術として始まったもので、その発生当初から評判の遊女や人気の歌舞伎役者といった同時代人物の描写に重点が置かれていた。18世紀半ばには、江戸市中の人々の生活風俗も盛んに取り上げられるようになり、それにともなって背景描写にも相応の現実感が求められて風景表現が充実していく。そして天保年間(1830~1844)に葛飾北斎『冨嶽三十六景』、歌川広重『東海道五拾三次之内』(保永堂版)が刊行されたことで、新たに風景画のジャンルが確立し、東海道などの街道を描く街道絵(道中絵)や、江戸や各地の名所を描く名所絵が盛行するようになった。

歌川広重『東海道五拾三次之内 川崎 六郷渡舟』(国立国会図書館デジタルコレクション)は、あたかも自身が街道を行くかのような臨場感をもって描きだされている。玉川(多摩川)の河口付近は六郷川と呼ばれ、東海道の渡し場として往来が多かった。西に向かって積雪の富士を望み、渡し船には旅装の男女。ここから東海道をまっすぐ西に向かうのか、あるいは川崎大師へ寄り道するか、悩みどころであったろう。この作品を見てもわかるように浮世絵の風景画は、単に風景を描写するだけでなく、地元の名物や生活、往来する旅人の様子など、土地の特徴や見どころといった情報もともに描き込むことが多かった。浮世絵が、その発生当初から世間の出来事を描くことに傾注してきたことを思えば自然な成り行きといえる。

広重『東海道五拾三次 川崎 六郷渡舟』,保永堂. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1309887 (参照 2026-01-16)

ところで、浮世絵師は、必ずしも実景を自分の目で見て描いたわけではなかった。ここに紹介した広重は、江の島などの神奈川県域に出向いているとはいえ、次々に仕事の舞い込む売れっ子浮世絵師に、遠隔地を旅する時間的な余裕はなく、絵の着想源として、各地を実地で調査して編纂(へんさん)された地誌「名所図会(ずえ)」が参照されることもままあった。「江戸名所図会」には、川崎や金沢、保土ケ谷といった神奈川県域も取り上げられており、それぞれの土地の寺社仏閣、ゆかりの故事、見どころが文章で説明されるとともに、著名な景観や故事は挿絵つきで紹介されている。地誌とはいえ、今のガイドブックのような機能をもっていたといえよう。浮世絵の風景描写は、名所図会の墨一色の挿図を、色彩豊かな景観表現へと昇華させ、名産、名物、同時代風俗を盛り込んで描くことで、その土地のイメージをヴィジュアルで端的に示すものであった。そうであるからこそ、帰宅後の旅の思い出のアルバムとして、あるいは旅に出ようとする人の旅情をかき立てるものとして、多くの人の支持を得たのだろう。


家田奈穂(平塚市美術館学芸員)

学習院大学大学院人文科学研究科哲学専攻修了。専門は日本近代美術史。都内の私立美術館で約10年浮世絵展を担当し、2014年から現職。現在は主に近現代の日本画家の展覧会を担当。


Share this
Key phrase

Latest Feature

まちと響きあう表現

日々の生活のなか、まちのなかで芸術文化と出合える...
spot_img

Recent articles

関連記事