出羽守(でわのかみ)」の話に(も)耳を傾けるために——コロナ禍と公共劇場 ―内野 儀(演劇批評)

「出羽守」という言葉があります。「……では」と、何かというと「では」ばかりを上から目線で連発する人。本稿のテーマである劇場についてなら、「フランスでは……」「ドイツでは……」と、西洋の劇場について物知り顔でいろいろな無理難題を提案すると思われている人のことです。

「出羽守」がいる一方で、「フランス」や「ドイツ」なんて関係ないと強く反発する人がいます。「アンチ出羽守」です。アンチなので、「出羽守」の提案にまったく耳を傾けず、観客とか市場とかを信じると称して、刹那的にいろいろとやります。なので、「アンチ出羽守」は、たいてい、現状肯定になります。

日本は明治以降西洋化したことになっているので、21世紀にもなれば、「……では」とか言われなくてもよさそうなものですが、「劇場」に、これまた危うい概念の極地である「公共」がひっついて「公共劇場」になったので、「出羽守」と「アンチ出羽守」の戦場=論争の場と化すはずでした。しかし、少数の例外を除いてそうはならず、行政と市場=資本の顔色をうかがう「アンチ出羽守」によって、独自の発展を遂げることになりました。芸術とエンタメの境界がなくなり、公共劇場でやっている演目と商業劇場でやっている演目に、何の違いもなくなったのです。ついでにいえば、入場料の違いも、目立つほどではなくなりました。

そこにいわゆるコロナ禍が来ました。そのなかで「公共劇場」は、これまでの商業化を加速させるだけなのか、あるいは、今こそ立ち止まって「公共」や「劇場」を再定義しようとするのか。もし後者であるなら、「出羽守」にも出番が回ってくるかもしれません。いや、現状肯定を望まないのなら、「出羽守」の話に(も)耳を傾けるべきだ、となるはずなのです。

内野 儀[うちの・ただし]


1957年京都生まれ。東京大学名誉教授。学習院女子大学教授。専門は表象文化論。著書に『メロドラマの逆襲』(1996)、『メロドラマからパフォーマンスへ』(2001)、『Crucible Bodies』 (2009)。『「J演劇」の場所』(2016)など。(公財)神奈川芸術文化財団理事。

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